150年目の移民

日本脱出したい映画好きな25歳のブログ

Mのためのカメラ講座Ⅹ 「ダベる」

 150年目の移民です。

 Mのためのカメラ講座 10回連載最終回。

 ちなみに前回の話はこちら。

 

immigrantofthe150thyears.hatenablog.com

 

 今回はカメラについてのあれこれを喋るだけです。ダベるだけ。ダベるって言うとなんだか相手がいる対話みたいですね。一人でパソコンに向かっているだけなのに。相手がいるとするならばMやこのブログをいつも見てくれている皆さんですね〜。喋るっていうか書くんですが。本当に大した内容じゃない気がするけど。脈絡もなく、ただ適当に書くだけです。

 

なんとなく一日中、

硯に向かって、

心に浮かんだいろいろな事を、

とりとめもなく書き始めたら、

まるで何かに憑かれたように筆が止まらない。

 

 徒然草の中で兼好法師がそう書いていましたがそういう感じで書いていきたいんですよね。カメラや写真についての心に浮かんだことを書き留めておくことがMへの短期的あるいは長期的なサポートになるような気がするし、共感してくださる同好の士がいるかもしれないと思うとなんか楽しそう。

 

 まず写真が上手になりたければ数を撮るしかないよねと思っています。どうすれば写真が上達するのか?とたまに質問されるけれど数を撮るしかないです。映画の専門学校行ってた時に講師も言ってました。『とにかく撮りまくれ!写真は数だ!』と。表現もスポーツも外国語も、数をこなすから見えてくる世界があると思います。たくさん撮って質が上がるんです。

 

 質が上がるで書くならば理論も大切ですよね。「写真は感覚だろ!」って人もいると思うんですけど「いやきっと違うよな」って思う。上手な写真を撮るための理論が蓄積されてそれを実際の撮影で無意識的に、迅速に、有効に発揮できた時にセンスと呼べると思うんです。「理論の蓄積」が「感覚」とか「感性」とか言われてるだけのような気がします。理論を身に付けることは重要です。

 

 見たことのない世界が見れるって喜びだと思います。モノクロ写真がなんとなく上手な写真に見えてしまうのはそれが理由だと思います。普段私たちはカラーで周りを見ていますから、白黒の世界は私たちには見慣れない新鮮さがあるんだと思います。おもしろい写真の一側面に「普段見れない世界が写っていること」なんだとすれば、他に普段人が目にしないのは「魚眼レンズの画角」とか「超望遠レンズの画角」でしょうか。でもレンズを買うとなるとお金が入りますよね。お金をかけずに普段見ることのない世界を撮るのなら、「カメラを逆さまにして撮る(パソコンで上下反転させても同様)」「しゃがんで撮る」「高いところから撮る」「流し撮りや長時間露光で撮る」とかでしょうか。普段の生活ではありえない視点だから世界が変わるという。ちょっと他の写真と雰囲気変えるなら「アスペクト比を変える」のもいいかもしれません。アスペクト比とは写真の縦横の比率のことです。3:2とか3:4とか16:9とか1:1とかいろいろありますが、これを変えるだけでも表現が変わりますよね。

 

 カメラの設定はいろいろあるけれど、昼間はF8くらいで撮ってます。昼間なら光がたくさんあるから絞りを開けすぎなくても撮れるし、たいていのレンズはF8前後が最も画質が安定すると聞きますからね。この時、様々な露出に瞬間的に対応するために絞り優先オートをよく使います。絞り優先オートのF8、SSオート、ISOオートとか。ISO400とか800とかでもいいですね。明るすぎるor暗すぎる時でもSSがオートだから調整してくれるし。F8って万能だと思います。ある有名な写真家が『いい写真を撮るにはどうしたらいいですか?』と聞かれた時、『とりあえずF8に設定して現場にいることだ。』と言っていたらしいですけどなかなか真理だなと思います。誰だったかなその人。ロバート・フランクだったかな?違うかも。とにかく伝説的な写真家だった気がする。

 

 設定でもう一つ書くならプログラムオートは構図や被写体の行動だけに気を配っていればいいから楽と言えば楽かもしれませんね。初心者には特に。ただボケが欲しいとか流し撮りをしたいとか、撮影者の意図を確実に反映させることができないのは難点ですが。でもSSもFも機械が調整してくれるんだからシャッターを押すことだけに集中すればいいっていうのはありがたい話ではあります。カルティエブレッソンの写真集で決定的瞬間というのがありましたがまさにそういうことだと思います。私はまだこの決定的瞬間を写せたという写真があまり撮れていないと思っているので日々研鑽を重ねていきたいです。

 

 三脚をいきなり立てるのはダメですよね。景色のいいところ来たからさっそく撮ろう!!即三脚!!これはダメですよね。自分の撮りたいモノが本当にそこから撮れるのかはファインダー覗かないと分からないんですから。もっと近づいたほうがいいか?離れたほうがいいか?下から見上げるようにして撮るか?俯瞰するか?それを決めないままに三脚立てると撮影地点が決定されてしまう。自分の撮りたい写真が撮れそうな場所をしっかりと探してから三脚立てるべきだと思います。まずはファインダーを覗くのが先です。

 

 しっかりと安定した姿勢で構えることも重要でしょう。SS1/100なら0.01秒の時間を記録しますが、不安定な構え方だとたったの0.01秒でも写真はブレる。広角レンズで撮っていたりや手振れ補正が有効ならそんなに気にならないとは思いますが。シャッターを押すときも人差し指で少し押し込む程度で撮った方がカメラが揺れなくてすみます。それだけ高精細な写真になるはずです。カメラが動かず、安定していますから。

 

 写真にこだわり始めるとどうしてもレンズが買いたくなるし、カメラ本体も新調したくなりますよね。この焦点距離を使いたいなーとか、あの撮影のためには別のシステムが要るなあとか。フィルターが欲しいとか、アクセサリ欲しいとか。この前もシャッターレリーズ買いました。価格.comで欲しいスペックを備えたアイテムを探すと地獄を見ますよね。。。マルミ光機の67mmCPLが10000円!!く〜〜〜〜〜〜〜〜〜。ポチ。(あッ。買っちまったあ!)っていう。まあ本当は即買いせずにちゃんと悩んで買っているんですけど。何しろ値段が値段ですし。それでも買ってしまいましたよ。だってZEISSのレンズなんですもん。いいレンズに付けるからCPLもちょっと高級品買おうという判断ですね。本当に地獄です。沼です。レンズ周辺は一度入ったら出られない沼。もがけばもがくほど深みにはまって抜け出せなくなる沼なのです。そう言う意味ではレンズ一体型のカメラを使っている人はとても賢いとも言えます。レンズのカスタマイズが不可能だからこそ出費は抑えられます。レンズを買うことで自分の撮影技術の稚拙さを補おうという私とは違って賢明ですよ。本当に。最近のコンデジやネオ一眼の性能は中々のものです。あれだけの性能、あらゆる画角を一台で備えていてしかも軽量とか素晴らしいです。

 

 写真を撮ると記憶に残りにくいって話がありますけど、そんなのくだらないと思っています。イベントや旅行で写真を撮ると記憶には残らない。なぜなら「カメラがこの瞬間を記録しているんだから脳が覚えておかなくてもいいじゃん!」と人は心のどこかで油断しちゃうからだ。そんな感じのやつです。多くの統計に裏付けられていて、科学的信憑性が結構高い研究結果だそうですが、それでも言いたい。くだらない、と。だって何年も前に行った旅行の昼食を鮮明に覚えていますか?とても美味しかったとか、奇抜な色をした食べ物で驚いたとか、その程度しか思い出せないでしょう?記憶なんて所詮は曖昧なんだからデータの方がよほど正確だと思うのです。自分の脳よりデータの方が正しいなんてちょっとなあとも思わないではないですが。それでも自分を自分にしてくれるのは脳なんですけどね。脳内の記憶を軽視するわけではないけれど、記録だって大切な自己同一性の構成要素でしょう。むしろ記録と記憶は不可分だ。同じモノだ。ならば区別する必要もないのかもしれないと思ってしまう。まあでもそれも古い考え方なのかもしれませんけどね。google photo等写真系クラウドサービスやinstagramという写真系SNSが普及した今、写真は個人のものであると同時に巨大IT企業のものでもあるわけです。彼らは世界中から集めたデータを使ってAIの力を伸ばしまくってるわけですが、そうなると個人が巨大な力に規定されて、管理されてしまう。もうそうなってると思うし、これからもますますそうなる気がする。だからこそデジタルな記録ではなく脳というスタンドアローンな記憶が重要なのかもしれないなとは思います。写真を撮らずにただ憶えておくことはこれからどんな意味を持つんでしょうね。けど、攻殻機動隊みたいに脳が直接ネットに繋がる技術はもう生み出されているから、これが世界に普及したらいよいよ記憶と記録は不可分ですね。間違いなく、完璧に、文字通り、全く同じモノだ。だって脳をハッキングされてデータを改竄された後で、改竄した証拠を消せば本人は気づかないんですから。私はハッキングされていないという記憶がまず信用できなくなってしまう。それでも私が私であるという確信をどこかに見つけ出すしかないんでしょうなあ。。。例えば腕時計や筋トレに対して。←意味がわからなかったらghost in the shell(1995)を観ていただきたい。意味が分かっちゃう残念で最高なオタクのみなさんとはコメント欄で何か語り合いたいですねw少佐の筋肉についてとかwww私が私だという確信を何に見出すかという事について、150年目の移民の場合は写真ですね。ハッキングされてもきっと写真撮ってる気がするし、サイボーグ化してオリジナルの肉体が無くなっても写真編集してると思います。どうしてそう思うのかって?そう囁くのよ。私のゴーストが。

 

 あとは〜そうだな〜。哲学が感じられる写真がグッときます。時代や物の本質や時間や思想や感情が写っている写真も素敵なんですが、哲学的な写真が撮りたいなと思います。ここ1年以上は自分と自分の周囲の虚像を撮るのに嵌っているんですが、これをもっと磨き上げて哲学性を高めたいですね。ここから見れます。もし興味を持っていただけたなら見ていかないでください↓ついうっかりと覗かないでください↓

www.behance.net

 

 まあ徒然なるままに書きましたね……。駄文を……。カメラ初心者に対してはある程度有用な文章なのかもしれませんが、玄人の先輩方にはあまりにも当然なことばかりだったかも。レンズは沼とかそんな事はDNAに直接刻み込まれるレベルで経験則として既に学習してるし!!ってね。でもいいんです。Mはカメラ初心者だから。

 

 

 Mのためのカメラ講座Ⅹ 「ダベる」これにて終了。

 さあ!充実した写真生活を楽しもうぜ📸

 

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