明るい闇にディストピアとしての救いを感じる。
150年目の移民です。
くそう。習慣化できねえ。ブログの更新を習慣化する。それには努力しかない。日々更新。
その努力が努力と感じなくなって、やっと習慣にできたと言える。んだけど続かない。悲しい。
で今日はホワイトアウトについてなんですが。
スキー場のリフト係として勤務していると時々突風が吹いて、地吹雪で何も見えなくなる時があります。
真っ白。白いだけの世界。精神と時の部屋みたいに。風がビュービュー唸ってるから静寂さとは無縁だけど。寒いし。
そんな猛吹雪の中にいると、「もう収まってくれ!止んでくれ!」と思うわけですが、同時に「ずっとこうでもいいかな。」とか思っちゃうんですよね。
目の前の情報が遮断されると自分のやるべきこととか、煩わしい人間関係から解放される感じがして。
義務もタスクも関係性もない。ああ・・・解放されてる。そんな気分になります。まあそのうち視界が戻るので仕事するんですがw
普段から多くのものに囲まれて生きていると「何も無い」のがたとえ10〜30秒くらいでも一種の救いになってる気がします。ミニマリズムに通じるところがあるかな?
このホワイトアウトという瞬間は何だか夜に似ている気がします。闇の中で、眠りという一人だけの時間は自分が自分でいるために必要です。ただただ白い「だけ」の遮断された世界で私は一人だけになる、眠りと変わらない気がします。白くて明るい闇の中で瞬間的に眠っているんじゃないかと。
あの猛烈な地吹雪にはディストピア的な救済を感じます。こんな感じ↓
寒い。