150年目の移民

日本脱出したい映画好きな25歳のブログ

ツイッタラー「私の強みは常にたくさんの私がいるという事だ。」

150年目の移民です。

先日 the ultimate matrix collectionというコスパ超優秀なお買い物をしました。


関連記事はコッチ。

 

immigrantofthe150thyears.hatenablog.com

 


でこの中のシリーズ第2作リローデットではエージェント・スミスがたくさんの分身となって主人公・ネオの前に立ちふさがります。

 

 

é¢é£ç»å

 


改めてこのたくさんのスミスを見て思ったんです。

リツイートみたいだ」って。

 

誰かが他者に自分を見つけて欲しくて日々を指先で呟く。ツイートする。すると私がそれをもう一度呟く。私が誰かを飲み込んで私を増やす。

 

私私私……そして私。

 

マトリックスにつながれたあらゆる人間たちを自分の複製に書き換えていくスミス。THE ONEというチートじみたアノマリーのネオも多勢に無勢で苦戦していました。

 

私の強みは常にたくさんの私がいるという事だ。

 

ここで興味深いのは前作で人類をウイルスや癌に例えていたスミスが、まさにそのウイルスに変質したという事ですね。そして次作にて大量の分身をまとめて消去されていた。

マトリックスシリーズに多大な影響を与えた押井守GHOST IN THE SHELLにて草薙素子がこんなことを言っています。

 

戦闘隊員としてどんなに優秀でも、同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。
組織も人も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死よ。

 

なるほど。全くですねえ。まさにスミスにぴったりの言葉。そして私たちにも。

脆弱性をたった一度突かれただけであっという間に消去されたスミスと同じように、私達は皆リスクを負っている。自己の肥大化が自己の崩壊を招くというリスクを。必然だ。

 

 

 

 

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明るい闇にディストピアとしての救いを感じる。

150年目の移民です。

くそう。習慣化できねえ。ブログの更新を習慣化する。それには努力しかない。日々更新。

その努力が努力と感じなくなって、やっと習慣にできたと言える。んだけど続かない。悲しい。

で今日はホワイトアウトについてなんですが。

スキー場のリフト係として勤務していると時々突風が吹いて、地吹雪で何も見えなくなる時があります。

真っ白。白いだけの世界。精神と時の部屋みたいに。風がビュービュー唸ってるから静寂さとは無縁だけど。寒いし。

そんな猛吹雪の中にいると、「もう収まってくれ!止んでくれ!」と思うわけですが、同時に「ずっとこうでもいいかな。」とか思っちゃうんですよね。

目の前の情報が遮断されると自分のやるべきこととか、煩わしい人間関係から解放される感じがして。

義務もタスクも関係性もない。ああ・・・解放されてる。そんな気分になります。まあそのうち視界が戻るので仕事するんですがw

普段から多くのものに囲まれて生きていると「何も無い」のがたとえ10〜30秒くらいでも一種の救いになってる気がします。ミニマリズムに通じるところがあるかな?

このホワイトアウトという瞬間は何だか夜に似ている気がします。闇の中で、眠りという一人だけの時間は自分が自分でいるために必要です。ただただ白い「だけ」の遮断された世界で私は一人だけになる、眠りと変わらない気がします。白くて明るい闇の中で瞬間的に眠っているんじゃないかと。

あの猛烈な地吹雪にはディストピア的な救済を感じます。こんな感じ↓































































寒い。

平面と立体の境という視点を知りたい。

150年目の移民です。

さっそくブログをサボりがちになってきた今日この頃、

何か語れるネタであらねば語れぬ…(O_O)

ってな省エネモードになってしまっていました。ダメですね。わたくし。

そんな訳で大好きな「写真」という表現について日々感じていることを書いてみようと思う訳です。撮りたい被写体についてとか。それなら語れるはずだから。こんな事を最近思うんです↓

 

 

 

私たちの周りのあらゆる写真は3次元を2次元的に圧縮している。

 

つまり、カメラが物理現実にある以上は被写体は立体であるはず。立体じゃあないもの(例えばパソコンの画面なんかに出る文字やら画像やらを)も撮れるんですが、それスクリーンショットで良いんじゃ?となってしまう気がするんです。

「いやパソコンの画面はフリッカーやら円偏光やらで面白い効果があるよ。」という向きもあるかもなんですが、それって画面そのものじゃあなくて画面から発せられる光が被写体なのではなかろか?ってな感じもありまして。

基本は3次元的な「立体」こそが写真の被写体なんだと思うんです。ですが写真になると平面だ。近くも遠くも凹凸も、全部平面になる。つまり2次元に圧縮される。変換されるんです。

 

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平らに閉じ込められているから遠くないし近くない。


 

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写真はごちゃついた3次元をシンプルな2次元の中に飲み込んでいる。



 

私たちが生きる3次元的世界の至る所に2次元が溢れている。

 

思えば写真以外でも二次元的なものは私たちの身の回りに溢れている気がします。

例えば日々お世話になっているスマホやパソコンの画面の中にはアプリケーションのウィンドウがあり、ブラウザ開いてネットを徘徊すればタブがたくさん出来たり。あるいはビルのガラスなんかも。落書きも。・・・・・・あれ??さっきの話と矛盾するような。うむむ。もっとよく推敲せねば。でもそんな矛盾も大事にしたいいいいい。。。

 

immigrantofthe150thyears.hatenablog.com

 

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ガラスという2次元は写真がこの世界に登場する以前から立体を平面に変えてきた。



 

 

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落書きもまた3次元の日常に潜む平面化された現実のコピーとしての2次元だ。

 

 

 

私の撮りたい写真は重なり合う2次元が作り出す3次元的仮想現実。

 

私が撮りたいと思える世界観や被写体は平面と立体の中間にあるような気がします。いや、それらを両方兼ね備えた写真が私の撮りたい写真だと感じます。ガラスが何枚か重なっている場所は面白いなあなんて。2次元が重なり合って3次元的な様相を見せる。奥行きが生まれる。平面なのに。まるでブラウザのタブのようです。平面の向こうに平面がある。そしてそこには夢がうつりこむ。タブにはメディアが。ガラスには虚像が。これらは現実のコピーであり、もう一つの現実だと思います。無限にも等しい膨大な情報が氾濫するこの時代では、幻は現実と同義でしょうからね。

立体という現実、平面という仮想、それらの境目に私の憶えていたい「視点」があると考えています。

 

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重なり合う2次元が作り出す3次元的仮想現実に私の憶えていたい「視点」がある。

 

ガラスの中の街と私を捉える『都市と私の虚像』シリーズは私のライフワークになると感じています。半世紀くらいかけてここからさらに深く視点を研ぎ澄ませていきたい。

私の愛機と一緒に。

 

 

 

 

六行一三列のマトリックスができました。

 

150年目の移民です。

去年だったか一昨年だったか、かっこいい言葉リストなるものを作ったんです。

頭に浮かんだ言葉、本屋で見かけた言葉。それらをメモしていました。

それで、なんだか面白いのでこれもブログに書いちゃえ!って。

やたら厨二病なチョイスもありますがw

これをいつか有効活用したい。とりあえずどこかに残すべきだと思ったんです。メモを無くしちゃうかもしれないし。それにこれをみた誰かが何か刺激を受けるかもしれませんしね。私の妄想が誰かの妄想の役に立つ。誰かが想像する。何かが創造される。そうなったら良いなと。

 

ああこのかっこいい言葉チョイスには「漢字二文字」というルールを設けてやっていました。文章ではなく単語なんです。昨年から気になっている元号とそこは同じですね。新元号は何になるのか?それはわかんないけど、これから書く中にはないのは確かですwww

だってグロいのとかあるんだもん!元号法では「いいイメージの漢字二文字にすること」って定められていたはずだから!この中にはきっと新元号は無い。絶対無い!

 

なんかかっこよさげな言葉↓

 

鳴動 万雷 悪魔 薄氷 微笑 逆鱗 白蠟 驟雨 奴隷 廃墟 臙脂 畢生 世界 亡国 幽霊 珈琲 死神 激怒 鯨波 異国 大蛇 狂人 美酒 化石 獣骨 裸体 戦陣 黒鉄 戦塵 義肢 骨牌 紫煙 骨灰 韜晦 裂帛 討滅 飢渇 葉桜 魔笛 喀血 死滅 鉄拳 灯滅 窮理 腐朽 霊肉 肉叢 常盤 剣呑 万代 海嶽 胎動 怪人 灰塵 烈火 槌音 梶音 音叉 逐電 桎梏 破竹 雷雨 罪人 生首 月光 深海 冥界 焦点 焦土 灰燼 螺旋 眼界 時代 幽玄 焦熱 義眼 鉄血 酩酊 

 

 

六行十三列で整列するこのマトリックスがどのように役立つかはあなた次第‼︎‼︎(爆)

 

 

 

 

PS:編集画面では6X13になってましたが、webではそうなっていないことに気づいた‼︎‼︎(爆)

広大なネットには先にスタートしてる人がやっぱりいましたよ。

いるよねえ。先行する人。

 

150年目の移民です。

映画短歌というちょっと謎な企画を友人から受けて始めましたが、「何事も先行者有利なのでは?」との思いからググってみまして。一番多くヒットしたのは阿木燿子監督の映画『TANNKA』でした。そして私と似たようなことをやっている人をツイッターで複数発見!

 

twitter.com

 

むむう。やはりいるなあ先行スタートしてる人。

まあきっといるでしょ、世の中広いし。と思っていましたがやはり何かこう、

ぐぬぬ・・・

的なその感情はちょっぴりありました。例えるならば写真技術を発明したダゲールやタルボットみたいな感じかなあ。いや彼らがダゲレオタイプやらカロタイプを発明するより前からカメラオブスキュラはあったわけですが。その辺も似てますねえ。短歌という文化は古く長く、ずっと伝わってきたのであって、最近できたわけじゃないですからね。

 

映画短歌を誰が先に始めたか。なんてそこを気にするなんて器が小さいねえ自分。

地道に続けて生き残ればいいのさと思ってます。

検索エンジンは今やgoogleほぼ一色だけど、ネット黎明期はもっと色々あったわけで。千里眼とか。他にももっとあった。ならば大丈夫。映画短歌といえば150年目の移民でしょ!!くらいの人気が出るまで書くだけさ(^○^)

 

とは言ってもいろんな人の映画短歌を読んでみたいとも思いますがね。いつか映画短歌という新たなブームが起きたりして。だとしたらなんか楽しいですね。

 

そんなわけで、今日は映画短歌番外編。

映画短歌をやってる人たちにフォーカスした映画短歌。映画要素はどこに。。。

じゃあ詠むぜよ!

 

 

やはりいる!

映画短歌の

先人が

みそひともじに

こめた呟き。

 

 

ツイッターで見つけたから呟きを入れてますがきっといるんでしょうね。インスタとか、自分のブログでやってる人も。

ネットは広大だわ

 

PS:とても素晴らしい映画短歌を書いてる方のサイトを見つけた!

ameblo.jp

映画を基にしていない短歌もたくさんあってとてもハイレベルだ!俵万智からも高評価だし!すげーなマミーエリさん(≧∀≦)         2019,1,13 

矛盾を大事にしたいと改めて思う。

お前の写真は綺麗なんだ。綺麗はつまらねえよ。

 

どうも。150年目の移民です。

今日のテーマは「綺麗」です。

冒頭の言葉は今から2年ほど前、私がまだ専門学校生だった頃、私の撮った写真を講師の方々に見ていただいた時。照明の講師が私にそう言いまして。

まあ確かに綺麗な写真をチョイスしたんですよね。北海道をひとり旅して撮った美しい写真とかを。地元の新潟で撮った写真もありましたが。

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うん。まあ綺麗ですね。で終わっちゃうみたいなんですよね。

ですが綺麗な写真は良いもんだと思っていた私は(うーんこれじゃまだダメなんか)とちょっと首をひねっていたわけです。ところが数日後に、どうして綺麗じゃつまらんのかがわかった気がしました。その一年前、つまり今から三年前に大駱駝艦天賦典式という舞踏集団の夏季合宿に参加したことがあり、プロの舞踏家にまじって稽古に励んだりとか、舞台講演に立ったりしました。

この時に主宰の麿赤兒の哲学を聞いたりもしました。麿さんはシェイクスピアマクベスから魔女のセリフを引用して、『綺麗は汚い。汚いは綺麗。』と言っていました。

 

ただ美しいだけが美ではないのだ。醜さ、グロテスクさ、おどろおどろしさを併せ持つ『矛盾した美』が本物の美だ。

 

とまあそんなことを言っておられたよーな気がします。

それを綺麗な写真はつまらないと言われた後に思い出したわけです。

ああ自分は麿さんの言葉から何も学び取っていないじゃないか。綺麗な『だけ』の写真を撮って何が良いのだと少し反省したりしました。

それから色々考えました。

 

ロバート・キャパの写真はちょっとピントがボケてるのも多いし、アラーキーのはなんかひしゃげた写真がたくさんある。まあ銃弾飛び交う戦場ではフォーカスをしっかり合わせていられないだろうし、割れたレンズ使ったらひしゃげた写りになるのも当然でしょうが。けどきっと彼らは「綺麗に撮るなんて退屈なんだ」と分かっていてやってるはず。

とか。

 

生物の免疫って雑菌やらウイルスやらにその身を侵されるたびにそれと戦う力をつけている。あまりにも清潔すぎる場所で暮らすと免疫つかないらしい。体が体として成り立つには体を破壊するプログラムを使ってバージョンアップする必要があるんだなあ。汚い環境も時として必要なのだなあ。

とか。

 

やっぱミロのヴィーナスの美しさは両腕がないからだよなあ。完璧じゃないから究極的にエロいのかなあ。(これはちょっと違う話かも。)

とか。

 

そんなことを考え、去年は初めてオールドレンズを使ってみたりしました。綺麗なだけが私の表現すべき写真ではないはずだと考えてのことです。今は高画素・高解像度の時代。本物みたいに写ることが求められる今だからこそ、今のレンズほどカリカリシャープに写らない古いレンズに興味を持ったわけですね。

 

つい二週間前にFUJIFILMのX-T3を手にしてからも、いかに美しさと醜さのバランスを取ろうかとあれこれしてるところです。

 

綺麗は汚い。汚いは綺麗。   ああ〜良い言葉っすねえ。

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2018年の私の漢字

150年目の移民です。

日本漢字能力検定協会発表の2018年の漢字は「」でしたね!

 

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災害多き一年でしたね。

 

私も2018年を振り返って漢字一文字で一年を振り返ろうかしらん。

 

今更かよ。

 

だってもう年明けてるし、9日だよ?

1日とか2日でやるんならともかく。はあ。行動が遅い、若さがない、元気がない。若いんだからスピード上げて動きなさいよ。そんな風によく言われます。。。

『もう何もかもが遅いのよ!』

『私にはまだ遅くない!』

と映画「卒業」の名台詞で自分を奮い立たせつつ、

 

2018年 今年の漢字 個人の部

 

行きたいと思いまーす。今更かよ。

 

さあ!その一文字はっっっ。

 

 

 

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これですな。移。移る。移動する。

新潟から北海道へ移住。職を一月で何度も移る。

住み込みの仕事で札幌からトムラウシへ。さらにトムラウシからルスツへ。

移り続けた。移民のように。

続けることが続かなかった。続かないことが続いた。

そういう一年だった気がするんです。

2019年は何かが続く一年でありたいです。

北海道命名151年目。150年目の移民はきっとまたどこかへ移ります。